大東会館 過去の活動の記録

大東会館のホームページ上において行つてゐた案内・告知を掲載

武士道研究会

武士道研究会第三十六回例会(五月十日《火》)のご案内

■日本再生への道―先帝陛下の大御心を拝して― 金子義徳氏 やすらけき世を祈りしもいまだならず くやしくもあるか きざしみゆれど 右の御製は勿体無くも先帝陛下の御製であります。「くやしくもあるか」との御言葉は只事ではありません。この御製は御叡旨(大…

武士道研究会第三十六回例会(三月二十四日《木》)延期のご案内

東北関東大震災に於いて被害に遭はれた皆様に心よりお見舞ひ申し上げると共に犠牲となられた方々、その御遺族の皆様方に衷心よりお悔やみ申し上げます。 ※ ※ ※ ※ ※ このたびの震災で多くの方々が犠牲となられましたが、皆々、東北の漁村、港町の人情に富む、…

武士道研究会第三十五回例会(ニ月二十四日《木》)ご案内

■開戦七十年関係資・史料紹介「日本軍に感謝した毛沢東主席」日下晋太郎 昭和三十九年、日本社会党訪中団団長として中共を訪問した佐々木更三代議士は、七月十日、北京の人民大会堂で毛沢東主席と会見を行った。その時の会見の記録が社会主義研究所から同年…

武士道研究会第三十四回例会・新年会(正月二十五日《火》)ご案内

■加治将一著『幕末維新の暗号』を読む ―松陰は明治天皇のすり替へを計画した南朝革命の志士であったのか― 発表者・日 下 晋 太 郎 本小説は、主人公がフルベッキ写真(維新の志士たちの集合写真)の調査依頼を引き受けるところから始まり、そこに写ってゐる…

「武士道研究会」第三十三回例会(十二月二十日《月》)の御案内

■「帝国憲法は日本を守る憲法だった」倉山満氏 幕末において、なぜ志と最高の教養を持つ日本人は命懸けで戦ったのか。立派な憲法と議会を持つ文明国にならうとしたからである。そして長年の努力の末に勝ち取った大日本帝国憲法は、自国の歴史と伝統に立脚し…

「武士道研究会」第三十一回例会(十月二十三日《土》)の御案内

■寸土を譲る者は全土を失ふ 日下晋太郎 尖閣列島ぐらゐ小さな遠い島など譲ってもよいと思ふ者があるかもしれない。だが、寸土を譲る者は全土を失ふ。親切心から雨宿りの場と盗賊に軒先を貸したならばどうか。それは母屋まで、いや自らの命まで奪はれて仕舞ふ…

「武士道研究会」第三十回例会(九月二十四日《金》)の御案内

■血滾る三島由紀夫氏の憲法改正案 齋藤 博氏 本年は三島義挙より四十年目にあたる。三島氏は占領基本法(現憲法)に体当たりして自決された。その三島氏の憲法改正案を今回取り上げ、氏がそこで何を語らうとしたか検討したい。 ■吉田松陰先生「象山先生に与…

「武士道研究会」第二十九回例会(八月二十七日《金》)の御案内

■吉田松陰先生「松下村塾の記」 幹事・大山晋吾 「松下村塾の記」には、「学は、人たる所以を学ぶなり。塾係くるに村名を以てす。誠に一邑の人をして、入りては則ち孝悌、出でては則ち忠信ならしめば、則ち村名これに係くるも辱ぢず。…抑々人の最も重しとす…

「武士道研究会」第二十八回例会(七月二十三日《金》)の御案内

■「松陰先生恋闕の和歌」 幹事・大山晋吾 嘉永六年十月一日に入京した松陰先生は、梁川星巌より次の如き孝明天皇の御姿を聞く。「墨夷(ペリー)来航已来、毎朝寅の刻(午前四時)より斎戒ましまし、敵国摂伏、万民安穏、御祈願あそばされ、かつ供御(御食事…

「武士道研究会」第二十七回例会御案内

■「夫婦別性」・「外国人参政権」の可決、そして「革命」への危機 日下晋太郎 ついに純然たる左派民主政権、菅政権が誕生した。これは、君主国であるわが国の将来に大きな禍根を残すものとならう。東京工大を拠点にかって左翼学生運動を展開した菅直人氏が総…

武士道研究会第二十六回例会御案内

■「武」の精神が日本を救ふ 発表・倉山満氏現在の我が国の状況は亡国前夜である。では祖国を救ふ解決策は何か。実は分かるはずなのに誰も言はないし、やらない。それは「武」の精神を取り戻すことである。 剥き出しの暴力と悪意に囲まれてゐる国際社会で生存…

武士道研究会第二十五回例会御案内

日蓮聖人と博多の大銅像 発表・大山晋吾 かの高山樗牛は、博多の東公園に建つもう一つの元寇紀念碑、日蓮聖人大銅像に対して、「是れ、蒙古調伏の妄誕に依拠せる妄挙のみ、無意義も甚し」と痛烈に批判してゐる。これは法華経さへ広まればたとへ他国に侵略さ…

武士道研究会第二十四回例会御案内

近代日本を支へた中世の元寇撃退史―壹岐・対馬等の史跡めぐりを通して 大山晋吾 「壹岐・對馬ヲ失ヒ、宗・平兩武將、其ノ一族ト共ニ玉碎スト雖モ、多々良ケ濱邊ノ快捷、克ク皇國ヲ安泰ニ導キシ元寇ノ故事を偲ビツツ、神國不滅ヲ確信シ、縦ヒ其ノ身茲ニ滅スト…

武士道研究会第二十三回例会御案内

神武天皇の御実在とその紀元について 発表者・大山晋吾 神武天皇の御実在に関しては論を待たない。今上陛下は第百二十五代の天皇陛下におはします。そこより、御歴代を百二十五代遡った初代の天皇様の御事を私共は「神武天皇」とお呼び申し上げる。もし、初…

武士道研究会第二十二回例会・素行祭御案内

神ながらの道―中朝事実山鹿素行著>の底流を流れる神ながらの道とその心 発表者・島本昌彦先生 山鹿素行は四十四歳の時「聖教要録」を著し当時幕府の学問である朱子学と対立、赤穂に十年流罪となるがこの間これを練り上げ「中朝事実」を完成、「日本書紀」の…

武士道研究会第二十一回例会・新年会の御案内

特立独行、信念の僧・日蓮の精神と蒙古襲来について 発表者・大山晋吾 キリスト教信者の内村鑑三は、その著『代表的日本人』の中で、大西郷以下五名の偉人を取り上げて顕彰してゐるが、その五番目に掲げたのが日蓮聖人、その人である。キリスト教信徒が天下…

武士道研究会第二十回例会の御案内

国士・湯地丈雄の憂国の精神と元寇紀念碑建立 発表者・大山晋吾 現在、福岡市の東公園には、「わが身をもって国難にかはらむ」と伊勢神宮に敵国降伏を祈願された亀山上皇の銅像が聳え立つ。これは、明治十九年八月清国北洋艦隊が長崎に寄港した折の上陸水兵…

武士道研究会 第十九回例会の御案内

蒙古襲来と北条時宗に於ける武士道精神 発表者・大山晋吾 現在、上野の東京国立博物館に於いて、「皇室の名宝」展が行はれてゐるが、そこに、かの『蒙古襲来絵詞』竹崎季長奮戦の絵巻が展示されてゐる。有名な場面で高校の教科書等にも掲載されてゐるが、よ…

武士道研究会 第十九回例会【素行祭】順延の御案内

9月16日(水)午後7時より予定してをりましたが延期させていただきます。

武士道研究会 第十九回例会【素行祭】の御案内

山鹿素行に見る武士道精神 発表者・大山晋吾 江戸時代に於ける忠臣義士の代表は、大石内蔵助をはじめとする赤穂四十七士といって過言ではなからう。山鹿流陣太鼓打ち流るゝ中、死を堵して主君の仇を討たれたのであった。それは、こと成就の後、全員腹掻っ捌…

武士道研究会 第十八回例会【靖國神社参拝並びに遊就館拝観】の御案内

遊就館拝観案内(1)「忠魂九段の宮に帰る」 幹事・大山晋吾 遊就館には三十年かけて妻のもとに届いた「奇跡の椰子の実」が展示されてゐる。 昭和十九年ルソン島で戦った山之内辰四郎軍属が故郷を偲び、砂浜に落ちてゐた椰子の実に「昭和十九年七月吉日」と…

武士道研究会 第十七回例会【楠公祭】の御案内

『太平記』には、湊川で楠公と共に討死された弟君正季公の最期の言葉が、かう記されてゐる。「七生マデ只同ジ人間ニ生レテ、朝敵ヲ滅サバヤトゾ存ジ候ヘ」と。 これ、世に言ふ「七生報国」の典拠であるが、楠公は室町時代に逆賊として長く歴史の片隅に追ひや…

武士道研究会 第十五回例会の御案内 

神皇正統記と北畠親房公―そこに流れる歴史観・神道観について― 発表・大山晋吾氏 『神皇正統記』は、神代よりの皇統、御歴代の治績等を記した北畠親房公、畢生の大著である。公は南朝の重臣であり、当時常陸の小田城にあってこの書を記された。まさに、正統…

武士道研究会御案内(五月の研究例会流会のお知らせ)

「武士道研究会」通信【楠公祭の意義について】 『太平記』には、湊川で楠公と共に討死された弟君正季公の最期の言葉が、かう記されてゐる。「七生マデ只同ジ人間ニ生レテ、朝敵ヲ滅サバヤトゾ存ジ候ヘ」と。 これ、世に言ふ「七生報国」の典拠であるが、楠…

武士道研究会 第十五回例会【楠公祭】の御案内

世間では、新型(豚)インフルエンザで大騒ぎをしてゐますが、実際、危険度が六に上がる寸前まで来てをります。そこで、次回武士道研究会は、五月二十九日(金)に延期する事に決しました。 毒性が弱いといふ事ですが、三日前の数では、ほぼ四十人に一人が死…

武士道研究会 第十四回例会ご案内

二・二六事件の青年将校達に見る武士道精神 発表・大山晋吾氏 三島由紀夫氏は、その著『英霊の聲』の中で、二・二六事件の将校達について「その純一無垢、その果敢、その若さ、その死、すべてが神話的英雄の原型…」と称賛されてゐる。 だが、齋藤内大臣以下…

武士道研究会 第十三回例会ご案内

日はまた昇る―聖徳太子の御見識と武徳の精神― 発表・大山晋吾氏 聖徳太子の活躍された時代は、対外的には大隋帝国の脅威にさらされ、対内的には蘇我馬子の企てで崇峻天皇が弑逆され、蘇我氏が国政を恣にしてゐた時代であつた。まさに、内憂外患のその時に於…

武士道研究会 第十二回例会のご案内

滅びざる國の真実―天皇国日本を護持せし人々 大山晋吾氏 わが國史の特徴は、断絶無く連綿と続く点にあります。試みに、各国の歴史年表を並べ、見比べられるとよい。いかにわが国が断絶なく続いてゐるか明らかでせう。 いや、中国の方が古いと言はれる方があ…

武士道研究会 第十一回例会ご案内

明治天皇と「明治維新の宸翰」 大山晋吾氏 武士道の本義とは、皇室を護持し申し上げる事にありませう。佐久良東雄先生がご子息に残された遺書には、侍とは侍(さぶら)ふ者、即ち天子様に侍ひ、お守り申し上げる者と説かれてゐます。 では、その皇室とは如何…

武士道研究会 第十回例会ご案内

皇居への汚水流入問題と今後の対策について 清水政彦氏(午後六時半から八時、含・質疑応答) 現在、皇居のお濠には東京都の下水管から汚水が流入してゐます。その吐口の数、内濠四箇所と外濠十箇所。東京に雨が降るたび、これらの吐口から年間三十回〜四十…