大東会館 過去の活動の記録

大東会館のホームページ上において行つてゐた案内・告知を掲載

武士道研究会(平成二十年におこなはれた武士道研究会の記録)

武士道研究会 第一回例会案内

近代に於ける武士道精神の発露 発表者 大山晋吾
武士道とは何か。それは決してかつての武士だけに与へられた道ではなく、現代に生きる我々が引き継ぐべき処の日本精神、大和魂といつたものであらう。国史を通観すれば、必ずその危機に際して武人が現れ、武の精神が発揮され、危機が克服されてゐる。防人然り、鎌倉武士また然り。いや、明治維新に至つても、確かに国学・水戸学・崎門学等日本自覚の学の力が大であるが、それら自覚の根底に武士道の精神(大和魂)が働いてゐたからこそ、維新の大業といふ大変革を成就し得たのであらう。また、明治維新を経て、国民皆兵となつたが故に、全国民すべからく国士として武士道の精神を発揮し、よく日清・日露の戦ひに勝利し得たのであらう。更には、大東亜戦争に至つても、米国に敗れたものの、全国民自らの命を堵して戦ひ抜き、ここに国体を護持し得たのである。
今回の発表では、近代に於ける武士道の発露を、特に戦歿者英霊の留魂の絶筆や御遺書等を通して拝察したい。また、これら日本近代に現れた武士道精神の淵源が、多くは中世、鎌倉末期の武士(楠公)の純忠の精神に由来する事についても若干の論及を試みたい。


大東亜戦争開戦時に近衛公が東條首相に贈つた御刀 発表者 日下晋太郎
昭和十六年十二月二十二日、世間では大東亜戦争緒戦の勝利に沸いてゐた頃、近衛文麿公は伝家の御刀、直江志津一振りを東條首相に贈られた。「開戦以来、連戦連勝、寔ニ御同慶ニ不堪、乍然、前途ハ尚遼遠且多難、嘸々御苦心の事と拝察致候。爰ニ曠古の大勝を祝すると共に今後ニ於ける閣下の御健闘を祈るの微意より直江志津刀一口拝呈致度、何卒御受納被下度候。敬具 十二月廿二日 文麿 東條首相閣下」と。
また、この直江志津は、いま東條首相の御遺品として靖國神社遊就館に所蔵されてゐる。世には、第三次近衛内閣を瓦解させた張本人として東條首相を挙げる説もあるが、九月六日の御前会議の決定を白紙御還元とするには、首相が責任をとつて辞職し、新たな政府の責任で、御前会議の決定を見直すべきとの東條首相の考へは当然の理であつて、その姿勢こそ皇室を尊ぶ姿と言へよう。近衛公もそのことを十分承知してゐたからこそ、御刀を贈り自らの後継内閣となつて国難を担おうとする東條首相を励まされたのであらう。ここに、一振りの御刀を通して、世上の巷説を断ち、大東亜戦争勃発に際し真にわが国を憂へた二大政治家・軍人の心の繋がりを窺ふ事が出来よう。
二月四日(月)午後七時より大東会館においてとりおこなつた。

武士道研究会 第二回例会ご案内

近代に於ける武士道精神の発露―特に婦道等、女性に見る大和魂 発表者・大山晋吾

前回、武士道といふ言葉の持つ意味について考へ、日本の歴史を貫く処の大和魂、日本精神といつたものがそれにあたり、近代に於ける武士道精神(大和魂)の発露をそれぞれ幕末維新期、日清・日露期、大東亜戦期に分けて垣間見てきた。そして、その近代に現れた武士道精神が多く中世の楠公七生報国の精神にもとづく事を述べた。この度は、阿南・東條両大将夫人、大西・本間両中将夫人、松尾敬宇命・緒方襄命の母堂等、大東亜戦争という日本の危機に瀕して現れた近代に於ける幾人かの女性の婦道精神等について眺めてみたい。


ティーブンソンの見た吉田松陰 発表者・三宅由倫
吉田松陰は、水戸学により、皇国の皇国たる所以に目覚めた幕末維新の志士の魁であるが、同時に彼は山鹿流の兵学者でもあつた。このたびはスティーブンソンという外国人の目を通して捉えられた松陰像を明らかにし、松陰に於ける武士道精神の発露等を眺めてみたい。


北条氏長『大星傳口訣』に見る用兵方位説について 発表者・野崎竜太
北条流の兵法は、その後の本邦の兵法の基本をなす流派であるが、右の書には「大星とは、天に在りては日輪なり、地に在りては天照太神也…此神を我心中に備へ奉り、其光を帯ぶる時は…萬の道に通じて臨機応変の妙を振るふ」旨が記されており、ここに北条流兵学に於ける神道或いは日本精神の発露を見ることが出来よう。このたびは、その北条流兵法に於ける方位説について論及してみたい。
三月十日(月)午後七時より大東会館においてとりおこなつた。

武士道研究会 第三回例会ご案内

近代に於ける武士道精神の発露―幕末維新の志士に見る大和魂 発表者・大山晋吾

戦前『武士道の復活』と題して明治維新の志士達を取り上げ、そこに大楠公以来の七生報国尊王精神、大和魂の発露を見出し、わが国が危急存亡の断崖に立つた大東亜戦争の最中に於いて、武士道精神の復活を説かれたのは、平泉澄博士であつた(『武士道の復活』は既に昭和八年発刊)。確かに、わが国は、米国の強大な軍事力の前に敗れたが、遊就館大ホールに展示されてゐる「血書の壁」に見る如く、戦には敗れたが、われらの魂は断じて屈しない旨そこに大書されてゐるのである(これは、出撃の時を待ちつつ終戦となつた特攻隊員の無念の血書である)。翻つて、現代を見るに、欧米文明、物質文明の流入によつて、我々日本人の精神は後退し、脆弱化して仕舞つてゐるやうに窺はれる。国家が滅亡するのは、むしろ外敵によつてではなく、その国民の精神の衰退によつてもたらされるものと言へよう。その意味で、この平成の御世にこそもう一度武士道の復活が叫ばれなければならないのではなからうか。
今回は、幕末に於ける武士道精神の発露を眺め、再確認し、まづ、我らの心の底に眠る大和魂を奮ひ起こし、現代に於ける武士道精神復活の機運を高めるべく一助としたい。


チベット情勢について―チベットで今何が行なはれてゐるのか― 講師・大高未貴先生
チャンネル桜のキャスターであり、居合道の有段者でもある大高未貴氏によりチベット情勢についてお話を戴きます。大高氏は女性の身でありながら単身世界七十ヶ国以上を踏破、インドでは、チベット亡命政権ダライラマ十四世、カルマバ十七世、パレスチナでは、アラファト議長、アフリカでは【緑の革命】でノーベル平和賞を受賞したノーマン・ボーローグ博士などを取材し、アフガン問題では、カブールに単独潜入、数々のレポートを文芸春秋などに発表されてゐます。特にチベット情勢について精通されてをり、このたびは現地で取材された折の写真等を駆使しつつ、現代チベットの情勢を分析して戴きます。
この機に是非とも、ご出席下さいますやうご案内申し上げます。
四月十六日(水)午後七時より大東会館においてとりおこなつた。

仮称武士道研究会 第四回例会ご案内

楠 公 祭 斎 行
五月は、大楠公楠木正成公)が兵庫の湊川にて討死された月であります。『太平記』には、大楠公と刺し交へられた弟君正季公の最後の言葉が「七生マデ只同ジ人間ニ生レテ、朝敵ヲ滅サバヤトゾ存ジ候ヘ」と記されてゐます。これ、世に言ふ「七生報国」の典拠でありますが、楠公忠死の精神は、室町時代・足利の世に於いて長く歴史の片隅に追ひやられてゐました。それを史上、再発見されたのが『大日本史』を編纂された水戸義公即ち、あの黄門さまでありました。「嗚呼、忠臣楠子之墓」の石碑を湊川に建て、天下第一の忠臣と称へられたのであります。その後、幕末に於いて愈々楠公忠死の精神は顕彰され、真木和泉守先生は病を押して血を吐きながらも毎年楠公祭を斎行し、特に文久二年には、寺田屋で斃れた同志達を併祀されてゐます。これが、私祭に於いて明治維新の志士を祀つた嚆矢であり、その後、福羽美静等もこれに続き殉難志士のみたまを祀り、その祠は「元宮」として今に靖國神社境内に鎮座してゐます。
その意味で、楠公祭は、湊川神社靖國神社の祭祀の起源とも言ふべき意義ある祭典であり、ここに志を同じくする我々集ひて、謹みて大楠公の精神を顧み、学ばせて戴きたく存じます。


佐久良東雄先生「遺書」について(発表者・大山晋吾)
楠公祭に引き続き先哲の遺文を拝読致します。
佐久良東雄先生の記す武士の鑑、楠公像と、その武士道精神の根幹に迫りたく存じます。即ち、武士とは何か、本来、何をお守りすべき存在であるか。佐久良先生の遺書に曰く「御大事ト申ス時ニハ一命ヲステゝ報イ奉ルベシ、然ラザレバ吾ガ子孫ニアラズ、我、又然ル忠心候ハヾ幽冥ヨリ助ケ大功ヲ成サシムベシ、若シ然ラズシテ逆臣ニ与ミセバ我タチマチニ取り殺サン、此ノ処ヨク々々子々孫々ニ申シ傳へヨ」と。まさに激烈な尊王精神でありますが、かゝかる精神あつてはじめて明治維新を成就し得たのでありませう。
当日は佐久良先生の墨跡を拝し、共に心を励まして参りたく存じます。
五月十二日(月)午後七時より大東会館にてとりおこなつた。

武士道研究会 第五回例会ご案内

御講演「昭和のさむらひたち」 講師・神屋二郎先生
六月は、不二歌道会代表の神屋二郎先生に御講演戴きます。御年八十六歳となられた先生の、これまで出会はれた國士、昭和の侍たちの思ひ出をお話し戴きます。その潔さ、皇室を尊ぶ「忠」の精神、またその死にざま等、武士道を学ぶ上で、大変示唆に富むお話です。
平泉澄博士は、昭和八年『武士道の復活』を著されました。これは、裏を返せば、大正時代以降武士道精神が低迷してゐた事を示すものでありませう。そこで、昭和に於いてどのやうに武士道が復活し、継承されて来たかを学び、その道統を後輩に伝へてゆく事こそ、平成の御代に武士道を研鑽する者のひとつの務めでありませう。
書物を紐解き、いにしへの武士道の奥義を学ぶ事も大切でせうが、実際に武士道が如何に現代に継承されてゐるか、その生きた精神を直に学ぶ事こそ肝要かと思ひます。私共は、ただ単に好古趣味で武士道を学ぶのではなく、温故知新・稽古照今の精神で、今現在に自らの内に武士道精神を体し、平成の御代に少しでもお役に立てる日本人たらむと願ふ者であり、これはまた本会自体の目的でもあります。
今回、昭和の侍たちのお話を戴きますが、会員各自の心で、生きた武士道の精神を感得、継承して戴ければ有難く存じます。


大和魂等の語源について発表者・大山晋吾

前回、中村光伯様より、益荒男、もののふ、侍といつた言葉の違ひ、また大和魂の語について御質問がございましたので、お答へ致したく存じます。


輪読 佐久良東雄先生「遺書」
前回途中となつて仕舞ひましたので、引き続き、輪読してまゐります。
六月九日(月)午後七時より大東会館にてとりおこなつた。

武士道研究会 第六回例会ご案内

前回、御講演を戴きました神屋二郎先生が逝去されました。最後のお力を奮ひ起こされて私共に御話し戴きました先生に心より感謝申し上げますと共に、その魂の雄叫びを確と受け止め、継承して参りたく存じます。


刀剣講座―帝室技芸員宮本包則と靖國神社 発表者・大山晋吾

日本を象徴するものとして、菊と刀とがしばしば挙げられる。菊とは皇室の御紋章であり、刀は国、皇室をお守りする武士の魂とでも言ふべき存在である。また、刀には刀匠の百錬、萬錬の精神と魂が籠つてゐる。この日本文化のまさに粋とでも称すべき刀剣の基礎知識、歴史を数度に亘りお話しさせて戴きます。
まづ、第一回目は、刀剣に就いての基礎知識をはじめ、帝室技芸員宮本包則と靖國神社の繋がりに就いてお話し致します。包則は、平安時代稲荷大明神の化身である「白狐」と共に名刀「小狐丸」を打上げたと伝へられる刀匠「三条宗近」を敬慕し、自らは幕末の世に於いて京都稲荷山の高峰「三ヶ峯」に百日参籠して「今小狐」とも称すべき名刀を打ち上げられた。また、明治に至つては、靖國神社の境内で伊勢の神宮遷宮の奉献太刀六十六口等を鍛造、月山貞一と共に帝室技芸員として活躍した近代日本を代表する刀匠であつた。

「欧米首脳の証言で綴る大東亜戦争」 発表者・日下晋太郎
大東亜戦争は、詰まる所、日米の戦ひであつたが、もとを質せば、ヨーロッパの第二次欧州大戦にわが国が巻き込まれていつたと云ふのがその真相であらう。独逸は次々と欧州諸国を席巻し、唯一残つたのは島国英国であつた。勢ひに乗る独逸は、英国に対しロケット弾攻撃を開始し、窮地に追ひ込まれた英国は同じアングロサクソン民族の国家である米国に極秘裏に参戦を要請する。しかし、米国は中立国であり、民衆に反戦平和の声も根強く、ルーズベルト大統領は容易に他国に参戦できる状況ではなかつた。ここに、米国は独逸近海に囮り船を浮かべて挑発するが、独逸動かぬと見ると、今度は独逸と軍事同盟関係にあつた日本へとその矛先を向けて来たのであり、これが昭和十六年に至る欧米の国際情勢である。
今回の発表では、米国陸軍長官スティムソンの日記、米国石油相イッキーズの秘密日記、ホワイトハウスに於けるマッカーサーの証言や英国首相チャーチルの著書等を原文で講読しつつ、日米開戦の真相に迫りたい。
七月八日(火)午後七時より大東会館においてとりおこなつた。

武士道研究会 第七回例会ご案内

歴史的ものの見方、考へ方 日下晋太郎
現代人は、刀を持たぬ侍、いや「見識」といつた懐刀を抱く侍と言へよう。如何にこの世の中を捕らえ、見抜き、理想を実現してゆくか、己の見識次第で、人生を勝利に導く事もできれば、負けを呼ぶ事にもなる。従つて、その人の人生は、如何によく切れ、曇りのない見識といふ懐刀を鍛へ高めるかに掛かつてゐるとも言へよう。
社会は、流動的、変動的で、千変万化する。まさに万物は流転してゐる。だからこそ、何時の世も、人は己の立つべき居所を求めて已まぬのであらう。逆巻く怒涛の根底にあつて、動いて動かざるところのもの、己自身の不動の尺度を。我に立つべき居所を与へよと叫んだのも、実に遠く古代ギリシアの哲人であつた。
その意味でも、優れた歴史観、人生観は、古今東西を問はず、厳しい時代を生き抜かむとする人々の、人生を切り開く懐刀と言へよう。
そこで、今回は、「歴史的ものの見方、考へ方」を取り上げ、出席者のそれぞれが、自らの歴史観を深める参考として戴ければ幸ひである。


刀剣史に於ける元帥刀 大山晋吾
元帥刀は明治になつて製作された刀剣であり、昭和二十年の終戦まで、元帥府に列せられた方々三十名のみに佩用が許された最も名誉ある刀剣、謂はば節刀と言ふ事が出来よう。また、元帥刀は、平安時代中期の「毛抜き太刀」や「小烏丸の太刀」、また中世の「衛府の太刀」等を前提にして製作されたものとも言へよう。
「毛抜き太刀」は、俵藤太が平将門を討つた時の太刀と言はれてをり、伊勢の神宮徴古館に現存する。また、「小烏丸の太刀」は、平家が藤原純友を討つた折の太刀と伝へられ、現在、御物となつてゐる。
つまり、元帥刀とは、そのやうな由来を持つ古代・中世の太刀の、近代に於ける節刀としての復活と考へる事はできまいか。


輪読 佐久良東雄先生「遺書」
九月八日(月)午後六時半より大東会館にてとりおこなつた。

武士道研究会 第八回例会ご案内

崎門祭斎行
輪 読 谷秦山先生「炳丹録ノ序」

崎門祭は、山崎闇斎先生、並びにその門下の先生方の忠魂をお祀り申し上げる祭典です。闇斎先生は、江戸初期に生まれた朱子学者で、当時は朱子学が幕府の官学でした。朱子学の根幹は、大義名分を明らかにする事にありますが、多くの学者は、幕府に仕へて疑ふ事を知りませんでした。ひとり、闇斎先生はわが国に於いては、幕府に仕へる事よりも、天皇様に臣民としての誠をお捧げする事こそ、日本人としての大義であり道であると覚醒されたのです。
また、先生は、弟子達に質問されます。もし、孔子が兵を率ゐてわが国に攻めて来たらどうするかと。朱子学孔子は聖人と仰がれます。弟子達は誰も答へられません。先生は、ひと言。その時は孔子と戦つて、その首を刎ねるのだと教へられました。
この闇斎先生の弟子に『靖献遺言』を著された浅見絅斎先生がをられます。靖献遺言は、シナの忠臣達が死を賭して信念を貫いた、その死に様を掲げた書物です。幕末尊皇の志士達は、皆この書を懐にし、何時どこで斃れてもよいやうに、精神を鍛錬されてゐたと云ひます。崎門学は、橋本景岳先生、梅田雲濱先生をはじめ、多くの志士達に影響を与へ、明治維新への大きな原動力となりました。
さて、いま政府要人は、五十年間で一千万人の移民を受け入れると言ひ、与党の政治家達も、外国人参政権の法案可決に躍起となつてゐます。戦後六十数年の教育によつて、極度に国家意識が低下した所へ無数の外国移民を受け入れ、これに参政権を与へたならば、どうなるでせうか。今、わが国はかゝる危機に瀕してゐるのです。
こゝに於いて崎門祭を斎行し、闇斎先生、秦山先生、また維新の志士達の神霊の御照覧を戴き、現代に生きる侍として、祖国日本をお守りする精神を鍛錬し、気概を奮ひ起こして参りたく存じます。


不昧流のお茶の御点前御奉仕
十月七日(火)午後六時半より大東会館にてとりおこなつた。

武士道研究会 第九回例会ご案内

村上一郎高橋和巳 藤本隆之氏

村上一郎高橋和巳といふ取り合はせは、奇異に感ずる向きもあらう。確かにそれほど両者は交錯しなかつたが、ここに三島由紀夫といふ補助線を引くと、あながちさう不思議な取り合はせともいへない。
六十年安保や七十年の学生騒乱といへば隔世の感あつて、私(昭和三七年生)もまたリアルタイムでは知る由もない。遅れて来た者の一人に過ぎないのだが、なぜか二十歳前後のころ両者に引き込まれた。
村上一郎には、「武士道」といふ言葉も似つかはしい気もするが、高橋和巳となると疑問をもたれる方もゐよう。ただ自裁と病死の違ひはあつても生前の生き方を顧みた時、両者とも「サムラヒ」に思へるのである(歳も性格も違ふが)。
今回、「武士道」とはほど遠い私ではあるが、厖大で重大な仕事を残された両者に取り組むことで、自身を再び振起させたいと思ふ。


武士道の本流―乃木将軍・松陰先生・素行先生・大楠公 大山晋吾氏
乃木将軍は、日露戦争時、水師営で敗軍ステッセル将軍らに勲章の佩用と帯剣を許して会見に臨まれた。ここに将軍の昨日の敵は今日の友、勝つて驕らず敗れた将兵へも礼を以つて遇するといふ武士道の精神を窺ふことが出来よう。乃木将軍は、明治天皇の崩
御に際して殉死され、自らの身をもつて武士道を示された。将軍はまた、山鹿素行先生に傾倒し、その墓前に素行先生を祭る文を奏上、時の東宮殿下に素行先生の『中朝事実』を捧げられた程である。
この乃木将軍の師、吉田松陰先生も幼きより山鹿流兵学を学び、十一歳で藩主を前に素行先生の『武教全書』を講ぜられ、素行先生を先師と仰がれてゐた。
では、その素行先生とは、一体如何なる方であり、その拠り所とされたものは何であつたのか。この度は武士道の本流と題し、右武人・先哲達を通して、その本流を遡つてみたい。
十一月十日(月)午後六時半より大東会館にてとりおこなつた。

武士道研究会 第十回例会ご案内

皇居への汚水流入問題と今後の対策について 清水政彦氏(午後六時半から八時、含・質疑応答)
現在、皇居のお濠には東京都の下水管から汚水が流入してゐます。その吐口の数、内濠四箇所と外濠十箇所。東京に雨が降るたび、これらの吐口から年間三十回〜四十回もの頻度で汚水がお濠に溢れ出してゐるのです。この実態については、「文藝春秋」十二月号で詳しくレポートしてをりますが、今回は上記の記事発表後における当局の対応や、マスコミ・国民の反応についてお話しさせて頂きます。特に、霞ヶ浦の浄化活動を行つてゐるNPO法人から頂いたご提案は大変興味深いものであり、是非多くの方に知つていただきたいと思ひます。これは、富栄養化した水面に筏を浮かべ、植物を植栽することによつて、自然の力で正常な生態系を回復させるといふ試みです。既に霞ヶ浦で一定の成果を挙げてをり、予算的にも技術的にも対応しやすい取り組みであるといへます。
当日は、当該活動の内容を詳しくご紹介するとともに、これをお濠の浄化事業に応用するための枠組み作り、体制づくりについて提案申し上げたいと考へてをります。


剣豪・幕末の三舟―海舟・鉄舟・泥舟 大山晋吾氏(午後八時から八時五十分)
幕末の「三舟」とは、勝海舟山岡鉄舟高橋泥舟の事である。彼等は書に秀で幕末の「三筆」とも言ふべき存在であったが、同時に各々名の通った剣豪であつた。
海舟は、直心影流十三代を継承し「剣神」と称された男谷精一郎の直門であり、その一族であつた。
鉄舟は,千葉周作に学び、後に無刀流を案出した剣豪であり、また泥舟は、鉄舟の義兄であり、槍術で入神の技と称へられた程の名手であつた。
勝と西郷が田町の薩摩屋敷で会見し、江戸城無血開城を実現した事は有名である。だが、その事前工作の為に、徳川慶喜公の命を受けた高橋泥舟が義弟の山岡鉄舟を推挙して駿府に派遣、鉄舟は西郷と会見して、見事に事前工作に成功してゐた事は余り世に知られてゐない。
今回は、右三舟の史跡を紹介しつつ、勝海舟西郷南洲西郷南洲山岡鉄舟との繋がりに焦点をあて、その武士道精神の一端を垣間見てみたい。


日 時 12月16日(火)午後6時半より
会 場 大東会館 港区北青山三の三の二七
幹 事 藤本隆之/福永武/細見祐介/大山晋吾
輪 読 谷秦山先生「炳丹録ノ序」
会 費 千円(懇親会費、但し学生は無料)
平成20年 武士道研究会の記録はこちらをご参照ください