武士道研究会 第十四回例会ご案内
二・二六事件の青年将校達に見る武士道精神 発表・大山晋吾氏
三島由紀夫氏は、その著『英霊の聲』の中で、二・二六事件の将校達について「その純一無垢、その果敢、その若さ、その死、すべてが神話的英雄の原型…」と称賛されてゐる。
だが、齋藤内大臣以下、陛下の股肱の臣を惨殺し、昭和天皇が「朕自ラ近衛師団ヲ率ヰ、コレガ鎮定ニ当ラン」とまで仰せられ給ふた事は、事実である。
また、同時代を生きられた葦津珍彦氏は、その著『武士道』に於いて、若くして君国の為に命を捧げられた青年将校達に敬意を表しながらも、明治維新の指導者達と比較して、詩人的情熱はあつたが、政治権力の微妙な駆引きには全く経験も知識も無かつた旨、論ぜられてゐる。
しかしながら、当時の世界的大不況の中で、特に農村の貧窮を肌身に感じた青年将校達が、国家の変革、昭和の維新を志した心情には尊いものがあらう。
今回は、二・二六事件の将校達の心情に思ひを馳せ、その国体観や国士としての士道精神の一端を垣間見てみたい。
「支那」は差別用語か? 発表・池田一貴氏
支那といふ言葉は差別的である、との思ひ込みが左翼のみならず、右翼保守派にも根強い。それは本当に差別語か?「支那」が使はれてきた歴史を振り返り、支那の使用は正当であることを証明する。
元来、支那といふ言葉を使ひ始めたのは支那の仏教徒であつた。日本では空海がこれを初めて用ゐた。爾来、仏教界では「支那」の使用が当然であつた。
江戸時代になると蘭学を通じて世界認識が拡がり、支那を使ふ学者が増え、維新後それが一般にも広まつた。以後、左翼もこれを当然の如く使つてゐる。
支那の左翼と連帯した日本共産党の「支那」使用は、それが差別語でなかつた証拠である。その他、多数の事例を挙げてこれを証明する。
■日 時 4月13日(月)午後6時半より
■会 場 大東会館 港区北青山三の三の二七
■輪 読 「明治維新の宸翰」
■会 費 無料(但、懇親会出席者は千円・学生無料)
■幹 事 藤本隆之/福永武/細見祐介/大山晋吾
平成20年 武士道研究会の記録はこちらをご参照ください