武士道研究会 第十五回例会の御案内
神皇正統記と北畠親房公―そこに流れる歴史観・神道観について― 発表・大山晋吾氏
『神皇正統記』は、神代よりの皇統、御歴代の治績等を記した北畠親房公、畢生の大著である。公は南朝の重臣であり、当時常陸の小田城にあってこの書を記された。まさに、正統記は戦場に於いて記された、生死を越えた魂の書と言へよう。そこには、南朝こそが正統であるとの信念が籠められ、忠臣達は競ってこれを筆写し、己の心の支へとして戦場に立った。
実に絶世の名文で、六百数十年後の現代に於いても、拝する者の魂を打たずには措かぬ。例へば、「人臣として君をたふとみ、民をあはれみ、天にせくゝまり、地にぬき足し、日月の照らすを仰ぎても、心の黒くして光に當らん事をおぢ、雨露の施すを見ても、身のただしからずして惠に漏れん事を顧るべし、朝夕に長田狭田の稲の種をくふも皇恩也、畫夜生井榮井の水の流を呑むも神恕也、是を思ひも入れず、あるに任せて慾を恣にし、私を前として公を忘るゝ心あるならば世に久しき理侍らじ」と。誠に心に響き、胸を打つ名言である。
正統紀の精神は、明治維新の原動力となった崎門学、水戸学に決定的影響を与へ、維新の志士、また大東亜戦争従軍の若人の心魂を支へた。
今回は、正統記中の名言を味はひつゝ、親房公の歴史観、神道観等を概観してみたい。
神武天皇の実在性について―神武東征と国家統治― 埼玉大学名誉教授 岩邊晃三
日本の歴史において、戦前は重視されてきた神武天皇は今日殆ど取り上げられなくなってゐる。
神武天皇のみことのり「六合開都、八紘為宇」について、六合といふ東西南北・天と地を文字通り八本の紐で結ぶことによって出来る八面体であると解釈し、この形を当初は実虚、後に、実協ピラミッドとなづけた。
神武天皇の国家観は平面的な「八紘一宇」でなく、立体的な実協ピラミッドの国家観であったと新解釈した。その実協ピラミッドに基づいて実協ピラミッド企業モデルを考案し、それを契機にこの十三年間、神武天皇の実在性を探索してきた。ここではその顛末を明らかにする。
まづ、神武天皇が宮崎県日向市美々津を出発し、福岡県芦屋町(遠賀川河口)を経て、奈良県橿原市の橿原神宮に至る「神武東征」の経路をパソコン地図で解析した結果、神武東征が計画的に行はれてゐたことを論証する。神武天皇の時代の基準値 (1神武km)が、3.1?であることを明確にする。
さらに、大和言葉は一つの言葉が6通りに解釈されるといふことから、「六合開都、八紘為宇」についても様々な解釈を試み、日本地図に基づいて神武天皇の国家統治について論述する。
四国にある四つの鹿島、佐賀県鹿島市、茨城県鹿嶋市など全国各地に所在する鹿島といふ地名や米山といふ地名、および矢筈山(岳)の所在地から、神武天皇の実在性について明らかにし、石の宝殿(兵庫県高砂市)・陰陽石(宮崎県小林市)・亀の子岩(栃木県塩谷町)など謎とされてゐる巨石文化財について言及する。
従来の見方とは全く異なった新しい視点に基づいて、神武天皇論を展開し、日本文化の源流を探求するものである。
■日 時 6月26日(金)午後6時半より
■会 場 大東会館 港区北青山三の三の二七
■参加費 無料(但し、懇親会費千円、学生は無料)
■幹 事 藤本隆之/福永武/細見祐介/大山晋吾