大東会館 過去の活動の記録

大東会館のホームページ上において行つてゐた案内・告知を掲載

武士道研究会 第十九回例会【素行祭】の御案内

山鹿素行に見る武士道精神 発表者・大山晋吾
江戸時代に於ける忠臣義士の代表は、大石内蔵助をはじめとする赤穂四十七士といって過言ではなからう。山鹿流陣太鼓打ち流るゝ中、死を堵して主君の仇を討たれたのであった。それは、こと成就の後、全員腹掻っ捌いて何等恨む所が無かった事からも分からう。また、その剣術、兵法たるや群を抜き、義挙に臨んで一人の犠牲すら出してゐない。
しからばその忠義、義烈の精神、その卓越せる武術の技量とは一体、何処から来たるものであるか。そは、山鹿素行の兵法と道義の精神に由来する処であらう。「変の至るや知るべからず、則ち、あに怠るべけんや」とは、素行の著『武教小学』中の有名な言葉であるが、いつ何が起こるやも知れない、だからこそ平生から、常住坐臥油断をしてはならぬといふのが、その教への基本であった。
また、当時、朱子学が官学とされた時代に、『聖教要録』を著し、朱子の解釈によらず直接孔子の教へを学ぶ古学を提唱された。
かやうな考へを持った素行は、幕府より罰せられ、赤穂に流されるが、その折の出所進退、誠に見事であって、呼び出しの北条安房守が何か家へ伝へる事なきやの問ひ掛けに、平生いつ如何なる事があらうとも覚悟の上である旨を述べ、即座に赤穂に向かはれたといふ。
また、赤穂での十年間の生活の中で『中朝事実』を著し、中華思想朱子学に対して、日本こそが世界の中心、中華(中朝)と考へる思想を確立された。更に、素行は、楠公を智、仁、勇の三徳を兼ね備へ、死を全道に守った天下第一の武将として尊崇された。
かやうな素行の教へを受けた大石内蔵助により四十七士の討入りは断行せられ、その兵学と義烈の精神は、幕末の吉田松陰に、その門下の乃木将軍へと継承された。乃木将軍は素行に傾倒し、その贈位に尽力。後に墓前に贈位を告げ奉る文を奏上し、明治天皇崩御に際しては、殉死を前に時の東宮殿下に暇乞ひして素行の著『中朝事実』を捧げられた程であった。


■日 時 9月16日(水)午後7時より
■会 場 大東会館 港区北青山三の三の二七
■日 程 素行祭 午後7時〜/発表 午後8時〜
■会 費 千円(玉串料、但し学生は無料)
■幹 事 藤本隆之/福永武/細見祐介/大山晋吾
平成20年 武士道研究会の記録はこちらをご参照ください