大東会館 過去の活動の記録

大東会館のホームページ上において行つてゐた案内・告知を掲載

武士道研究会第二十四回例会御案内

近代日本を支へた中世の元寇撃退史―壹岐・対馬等の史跡めぐりを通して 大山晋吾 
「壹岐・對馬ヲ失ヒ、宗・平兩武將、其ノ一族ト共ニ玉碎スト雖モ、多々良ケ濱邊ノ快捷、克ク皇國ヲ安泰ニ導キシ元寇ノ故事を偲ビツツ、神國不滅ヲ確信シ、縦ヒ其ノ身茲ニ滅スト雖モ、魂魄ハ絶ヘズ醜敵ヲ襲フテ、長ヘニ皇土ヲ守護センコトヲ期ス」
これは、昭和二十年三月四日付、玉砕寸前の硫黄島守備隊参謀長からの至急電報である。遠く元寇の昔、援軍無き壹岐・對馬を思ひ、宗助国、平景隆ら一族郎党挙げて討ち死した歴史を、激戦の島・硫黄島に重ね合はせてゐる。たとひ身は硫黄島で玉砕すとも、元寇の昔、遂には多々良が浜で勝利したやうに、大東亜戦争の最後の勝利を信じ、魂魄となってでも敵を襲ひ、永遠に祖国を護持するといふ激烈なる覚悟の電文である。まさに、元寇に際し、命を堵して国土を護った鎌倉武士の魂が、ここに蘇ったものと言へよう。
では、元寇に於いて壹岐・對馬等でいかなる戦が繰り広げられ、今にどのやうな遺跡が伝へられてゐるであらうか。来年は弘安の役より七百三十年の節目の年に当たる為、今回は壱岐・對馬等の元寇撃退の史跡を辿りつつ、そこに今なほ鎮まる鎌倉武士の勳しの跡をお偲びしたい。


水戸藩の修史事業 山本直人先生
平成二十一年は、水戸藩開藩より四百年の節目にあたる。それまで常州は、長らく河内源氏の佐竹氏の支配にあつたが、何よりも水戸の精神風土を決定づけたのは、水戸黄門こと徳川光圀の存在であらう。水戸藩の修史事業は、明暦三年(一六五七)に光圀が駒込に史局を開設してから、明治三十九年(一九〇六)にその全てが完成するまで、実に二百五十年もの歳月を経てゐる。この『大日本史』は、他藩からも「水戸の万年史」と揶揄されるほどの一大事業となつたが、その後の我が国の歴史観を決定づけた意味でも大きな役割を果たしたといへる。この正史編纂を志した光圀の精神が、後代の学者達に如何に引き継がれていつたか。その道のりを先行研究を元に辿りたい。
          

■日時 3月27日(土)午後7時より
■会 場 大東会館 港区北青山3−3−27
■会費 千円(懇親費、但し学生は無料)
■幹事 藤本隆之/福永武/細見祐介/大山晋吾