大東会館 過去の活動の記録

大東会館のホームページ上において行つてゐた案内・告知を掲載

「武士道研究会」第二十七回例会御案内

■「夫婦別性」・「外国人参政権」の可決、そして「革命」への危機 日下晋太郎
ついに純然たる左派民主政権、菅政権が誕生した。これは、君主国であるわが国の将来に大きな禍根を残すものとならう。東京工大を拠点にかって左翼学生運動を展開した菅直人氏が総理。その他に、仙石官房長官、行政刷新相の蓮舫氏、それから夫婦別姓推進の千葉景子法相等がゐる。
外国人参政権夫婦別姓問題に強硬に反対してゐた亀井金融相が辞任した事は実に重大で、このままでは右二法案が可決する事は、火を見るよりも明らかである。
菅民主政権は、鳩山政権と異なり、質的に明らかに先鋭化してゐる。前回さして変化が無かったからといって安閑としてゐては大変な事にならう。ただ、事ここに至っては多くを期待すべきではない。只々守るべきは、天皇国日本の国柄である。経済は政策により如何様にも回復するであらうし、社会保障財政再建もすべて政策次第で打開し得る問題である。だが、君主国たる国柄は、革命によりその命脈が断たれてからでは取り返しがつかぬのである。そは、あたかも一旦純潔を失った乙女がもとの心身に戻れぬのと同様であらう。
夫婦別姓が可決すれば、「家」の崩壊に繋がり、外国人参政権が可決すれば、「国家」自体の崩壊に繋がらう。中共十六億の人民が堰を切って流入し、まづ人口の少ない地方政権を狙ひ、次第に中央政権もその統制下に置かれる時が必ず訪れる。日本が日本でなくなる日が来るのである。君主国日本を共和国に
改めようとすれば、容易にこれを議決し得、国号を中華人民共和国日本省に替へようとすれば、これまた容易に議決し得る時が来るのである。これを「革命」と呼ばずして何と言はうか。
「夫婦別性」・「外国人参政権」の可決、「革命」への一本道がすぐそこに見えてゐる。今この時がまさに革命への分岐点であり、わが国が存続するか、滅亡への道を突き進むかの天王山なのである。


吉田松陰先生「評天下非一人天下説」、「士規七則」 幹事・大山晋吾
 真の保守は、同時に革新でなければならない。それは生命が自らを維持し続けるには、日々新陳代謝を行ひ、細胞を新しくしてゆかなければならないのと同様である。しかし、そはあくまでも生命を維持し、或は細胞の核を守るための営みであって、その新陳代謝が生命を危険にさらし、細胞の核を害するものであっては本末転倒である。
君主国に於いても、これを護持し且つ発展させてゆくためには、日々の改革・刷新が必要である。その意味でのみ革新政権の意義もあらう。大化の改新、明治の維新が史上の二大変革として高く評価されるのも、その一点にある。だが、その革新が自らを否定し、自らの命脈を断つ革命となって仕舞っては元も子もなからう。
松陰先生は、「天下は一人の天下に非ざるの説を評す」の中に於いて、天下を一人の天下に非ずとするはシナ人の語であって、わが国に於いては、断じて陛下御一人の天下と主張される。現代的に言へば主権在君の考へである。
しかし、先生の説は、単なる西洋流の主権論ではない。西洋やシナの土壌から生じた観念論を排し、わが国の歴史に基づいて論ぜられる。松陰先生の「士規七則」には、「人君は、民を養ひて、以て祖業を続ぎたまひ、臣民は、君に忠にして、以て父の志を継ぐ。君臣一体、忠孝一致、唯だ吾が國を然りと為す。」とある。先生が御一人の天下といふのは、西洋流の絶対君主を指すのではない。君は民を子と慈しみ、民は君を親と慕ふ君臣一体のわが国柄を前提にして、天下は上御一人の天下と説かれるのである。
昭和天皇は、昭和四十五年「七十歳になりて」と詞がきされて「よろこびもかなしみも民と共にして 年はすぎゆきいまはななそぢ」とお詠みになられた。まさに国民と苦楽を偕にされた歳月を振り返られたものであるが、君臣一体のわが国柄を象徴する御製と拝察申し上げたい。
松陰先生は、「松下村塾の記」に於いて「華夷の弁」(自国と他国の国柄の相違を弁へる事)を強調されるが、日本には、この美しき君民一体の国柄がなほ存するのであって、西洋の君・民対立の土壌から生まれた革命思想や革命を目指す政治をわが国に導入する必要など毛頭ないのである。


■文献紹介「米陸軍長官ヘンリー・スチムソンの日記」・日下晋太郎
 米国陸軍長官のヘンリー・スチムソンの日記を読むと、米国の日米開戦に臨む姿勢が明瞭にならう。まづ、一九四一(昭和十六)年十一月二十五日ホワイトハウスで戦争会議が開かれた日の日記には「At the meeting were hull,knox,Marshall,Stark and myself.……The question was how we should maneuver them into the position of firing the first shot without allowing too much danger to ourselves.(その会議には、ハル、ノックス、マーシャル、スターク及び私が出席した。《略》そして問題は、我々が大きな危険にさらされる事なく、最初の発砲をするやうな立場に、日本人を如何に追ひ込むかであった)」と記してゐる。これ、米国が如何にして日本から戦争を仕向けさせるか、第一発を日本から撃たせるかを協議した、明白かつ決定的証拠と言へよう。この戦争会議の結果が、翌日二十六日ハルノートとして提出される事になる。日本人を如何にして追ひ込むか、その答へが実に最後通牒ハルノートだったのである。
また、その翌日二十七日のスチムソンの日記には「He told me now that he had broken the whole matter off. As he put it , ‘I have washed my hands of it and it is now in the hands of you and knox―the Army and navy.‘(彼《ハル》は私に今や全ての事柄は決裂したと語った。『私はそれから手を洗った。そして、それは今や君とノックス、即ち陸軍と海軍の掌中にある』とそのやうに彼は表現した)」とある。ここに、米国は真珠湾攻撃の十日も前に日本との戦争を決めてゐた事が分からう。
「日本のだまし討ちだ、真珠湾を忘れるな」を合言葉に、米国は自国民を日米戦に駆り立てたが、むしろだましてゐたのは日本ではなく、米国首脳達の側ではなかったか。世界史は、誠に複雑怪奇、陰謀渦巻く歴史なのである。


■「英生産相オリバー・リトルトン卿の発言」・日下晋太郎
一九四四(昭和十九)年六月二十日、英国チャーチル首相の生産相オリバー・リトルトン卿は、ロンドンのサボイホテルで開かれたアメリカ商業会議所午餐会で左のやうな演説を行った。「According to the news agency,Mr.Lyttelton,in a depature from his prepared his address,declared that America had provoked Japan to such an extent that ‘The Japanese were forced to attack the Americans at Pearl Harbour.,adding; ‘It is a travesty of history ever to say that America was forced into the war. ‘(通信社によると、リトルトン氏は、用意してゐた演説から逸脱し、『日本人が真珠湾アメリカ人を攻撃せざるを得ない』程、アメリカは日本を挑発したと言明し、『アメリカが戦争に巻き込まれたといふのは、歴史を戯画化したものである』と付言した。)」と。
これは、翌二十一日付け『ザ・タイムス』の記事である。日本が宣戦布告した相手国、英国生産相の言葉だけに、疑ふ事の出来ぬ証言と言へよう。


■会場 大東会館 港区北青山三の三の二七
■日時 六月十八日(金)午後六時半
■幹事 藤本隆之/福永武/細見祐介/大山晋吾
■次回例会 七月二十三日(金)「士規七則」、「松陰先生、恋闕の和歌」、「フライングタイガーズ」等
■会費 千円(懇親会費、但し学生は無料)