大東会館 過去の活動の記録

大東会館のホームページ上において行つてゐた案内・告知を掲載

「武士道研究会」第二十九回例会(八月二十七日《金》)の御案内

吉田松陰先生「松下村塾の記」 幹事・大山晋吾  
松下村塾の記」には、「学は、人たる所以を学ぶなり。塾係くるに村名を以てす。誠に一邑の人をして、入りては則ち孝悌、出でては則ち忠信ならしめば、則ち村名これに係くるも辱ぢず。…抑々人の最も重しとする所のものは、君臣の義なり、國の最も大なりとする所のものは、華夷の弁なり。…神州の地に生まれ、皇室の恩を蒙り、内は君臣の義を失ひ、外は華夷の弁を遺(わす)れば、則ち学の学たる所以、人の人たる所以、其れ安(いづ)くに在りや」とある。ここに松陰先生の松下村塾にかける思ひと、その学問の目指すところが明らかであらう。▼先生は、学問の要として君臣の義と華夷の弁を掲げられた。奇しくも、これは山崎闇斎の高弟谷秦山が、元禄三年、私塾を開くにあたって記した学則「私講の?諭」に「日本の学なる者は、即ち我が神聖相伝の道、君臣父子の大倫、中国夷狄の厳弁に関繋す」と説いた所とその意、同一である。さらにこの考へは、水戸の藤田幽谷、会澤正志斎の流れを汲む藤田東湖が「上下の分、内外の弁」と説いた所でもあった。▼江戸時代には、水戸学、崎門学、国学と、日本人たるの自覚を奮ひ起こさせる優れた学問が興隆すゐるが、ここに松下村塾の目指す学問、松陰先生のよって立つ所が明らかであらう。


■ロバート・A・シオボールド少将著『真珠湾審判』大山晋吾
日米開戦当時、米国太平洋艦隊の司令官であったシオボールド少将は、その著『真珠湾の審判』に於いて、「ルーズベルト大統領は、十一月二十六日付の対日通告によって、決定的かつ計画的に米国を戦争に引きずり込んだのであった。彼は、謂はば日本の顔に籠手(こて)を投げつけた如く、挑戦したのであった。(President Roosevelt, by the note of November 26, definitely and deliberately brought war to the United States. He had flung the gauntlet into Japan s face )」と記してゐる。これは、日本人による手前勝手の論ではない。当時の日本と戦った太平洋艦隊の司令官・米国海軍少将がさう言ふのである。実に説得力ある証言と言へよう。


■会場 大東会館 港区北青山三の三の二七
■日時 八月二十七日(金)午後七時
■幹事 藤本隆之/福永武/細見祐介/大山晋吾
■会費 千円(資料代五百円・懇親会費五百円を含む・但し学生無料)
■次回例会 九月二十四日(金)吉田松陰先生「象山先生二與フルノ書」
■予告 十月二十三日(土)午前十時より都内松陰先生関連史跡巡拝