大東会館 過去の活動の記録

大東会館のホームページ上において行つてゐた案内・告知を掲載

「武士道研究会」第三十回例会(九月二十四日《金》)の御案内

■血滾る三島由紀夫氏の憲法改正案 齋藤 博氏
本年は三島義挙より四十年目にあたる。三島氏は占領基本法(現憲法)に体当たりして自決された。その三島氏の憲法改正案を今回取り上げ、氏がそこで何を語らうとしたか検討したい。


吉田松陰先生「象山先生に与ふる書」 日下晋太郎氏
「象山(ぞうざん)先生に与ふる書」とは、安政六年四月二十五日、松陰先生が高杉東行に託した佐久間象山宛の書簡である。時に、幕府は先生を直接取り調べのため江戸の藩邸に送るやう命を下してゐる。この幕命が萩に届いたのが、翌月五月十四日であった。この頃、松陰先生は国政と国の将来に対する憂ひを深め、交はる俗吏、志士と悉く意見が対立し、先生は身の置き所が無くなるほど孤立する。「僕今世に益なく、死するに所なし、進退これ谷(きわ)まれり」といふ状態であった。この時に於いて、先生は本書簡を師の佐久間象山に送って道を尋ねられた.曰く「幕府諸侯、何れの処をか恃(たの)むべき。神州の恢復(かいふく)何れの処より手を下さむ。丈夫の死所、何れの処か最も当れる」と。今で言へば、どの政党、どの代議士が信頼できますか、日本を本来の正しい姿に回復すべく第一に着手すべき事は何ですか、我々の命の捨て処はどこにありませうかと質問されてたのであった。▼翻って、現在はどうか。去る九月十四日民主党新党首に再び菅氏が選ばれたが、私共の前には、夫婦別姓外国人参政権問題等が大きく立ちはだかってゐる。家を崩し、国を傾けようとする政策を前に私共はどの政党を恃み、誰を信頼すればよいか。それにしても、国政を預かるはずの代議士、政治家に国家を憂へ祖国を愛する者の余りにも少ない現状は、如何ともし難いものがある。まさに「幕府諸侯、何れの処をか恃むべき。神州の恢復、何れの処より手を下さむ。丈夫の死所、何れの処か最も当れる」である。▼高杉東行が右松陰先生の書簡を携へて佐久間象山の下に到着したのは、先生歿後の万延元年九月であって、象山の松陰先生宛回答を見る事はできないが、その折、東行は攘夷、象山は開国を主張して意見が合はなかったやうである。▼ただ、松陰先生と共に安政大獄で斃れた橋本景岳は、次のやうな言葉を残された。「大丈夫、憂ふるところは国家の安危、選ぶところは義の至当と不当とのみ、その他は論ぜざるところ」と。まさに、現代の政治家に聞かせたい至言である。私共は真に国を憂へ、国を思ふ政党、政治家を支持すべきであり、かりそめにも国家を転覆させるところの革命を是認するやうな政治家を許してはならぬであらう。


■文献紹介『主力艦シンガポールへ』ラッセル・グレンフェル(英国海軍大佐)著 幹事・大山晋吾
第二次大戦当時、わが国と戦った英国海軍大佐であるラッセル・グレンフェルは、その著『主力艦シンガポールへ』(Main Fleet to Singapore)の中で次のやうに述べてゐる。
今日、世界で識者と称される人々の間では、日本が米国に対し質の悪い不意討ちを喰らはしたと真正直に信ずるものなど誰もゐない。日本の攻撃は前から予期されてゐたものであるばかりか、疑ひもなくルーズベルト大統領は、米国を大戦に参戦させようと腹黒く待ち構へてゐたのである。そして、参戦の機会を実に日本から為される敵対行動に求めてゐたのだ。受けて立つ戦ひこそ政治的に好ましいものだったのである。そして、米国は武力を自ら使はないで、恥を知る国民ならば到底我慢のならないところ迄、日本を追ひ詰め、侮辱したのである。解り易く言へば、日本は米大統領に唆されて、米国を攻撃する羽目になったのである。一九四四年、英国生産相オリバー・リトルトン卿は次のやうに述べた。「日本は真珠湾の内に、米国を攻撃するやうに誘ひ込まれてしまった。それで、米国が戦争に巻き込まれてたといふことは、まさに、歴史的御笑種である。」
(No reasonably informed person can now believe that Japan made a villamous,unexpected attack on the United States.An attack was not only fully expected but was actually desired.It is beyond doubt that President Roosevelt wanted to get his country into the war,but for political reasons was most anxious to ensure that the first act of hostility came from the other side;for which reason he caused increasing pressure to be put on the Japanese,to a point that no self-respecting nation could endure without resort to arms.Japan was meant by the American president to attack the United States.As Mr.Oliver Lyttelton,then British Minister of production,said in 1944,‘Japan was provoked into attacking America at Pearl Harbour.It is a travesty of history to say that America was forced into thewar.’)
これは日本人の言葉ではない。日本と戦った相手側の言葉であり、その意味で極めて客観性の高い資料と言へよう。『主力艦シンガポールへ』は少々長いものではあるが、グレンフェル大佐が、当時の各国首脳の証言等を踏まへた厳格な考証に基づく執筆であり、私共にとり誠に読み応へのある痛快な文献資料である。▼右は、すでに主権回復後の昭和二十八年、田中啓眞氏の訳で啓明社から出版されてゐる。何も筆者が資料を発掘して世に紹介するものではない。しかしながら、余りにも世間一般に知られてゐない感がある。私共は学者ではない。一度誰かが公表した資料でも、世間に浸透してゐなければ、啓蒙のため何度でも、同様の事を説いてよいのである。


■会場 大東会館 港区北青山三の三の二七
■日時 九月二十四日(金)午後六時半
■幹事 藤本隆之/福永武/細見祐介/大山晋吾
■会費 千円(資料代五百円・懇親会費五百円を含む・但し学生無料)
■予告 十月二十三日(土)午前十時より都内松陰先生関連史跡巡拝