大東会館 過去の活動の記録

大東会館のホームページ上において行つてゐた案内・告知を掲載

武士道研究会第三十六回例会(三月二十四日《木》)延期のご案内

東北関東大震災に於いて被害に遭はれた皆様に心よりお見舞ひ申し上げると共に犠牲となられた方々、その御遺族の皆様方に衷心よりお悔やみ申し上げます。
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このたびの震災で多くの方々が犠牲となられましたが、皆々、東北の漁村、港町の人情に富む、朴訥善良の人々でありました。その多くは、自らの身を顧みず、年老いた父母を、幼き子や孫を避難させる途上、想像を絶する津波に遭ひ、惨害を被りました。最後まで住民を避難誘導しつゝ津波に呑み込まれた若き役所の女性職員、また、自らの家が崩壊してゐるにも拘はらず、予備自衛官の召集を毅然として受ける青年、原発の更なる爆発を防ぐべく、被爆を覚悟して国家国民のために消火活動に当たる自衛隊、警視庁、東京消防庁の方々。一大国難に際して、わが民族の眠れる武士道精神、大和魂が今まさに覚醒し、発揮されつゝあります。▼経済的苦境に輪を掛けてのこの震災ですが、わが国民は、かって七十年前に欧米列強との戦ひを決意し、三年数ヶ月の間、苦しみに耐へ、かの大東亜戦争を戦ひ抜きました。その間、米国による日本各地への無差別空襲、広島・長崎のへの原爆も経験致しましたが、十年後には早くも高度経済成長を遂げてをります。▼必ずや今回も、この苦境を乗り切る事が出来ます。どうか、武士道研究会の皆様方も、この度の被災に対し、募金なり、ボランティアなり、それぞれの分野にて為し得る限りのご尽力を戴きたく、伏してお願ひ申し上げます。▼本災害に於ける社会的節電努力に少しでも寄与すべく、三月の研究例会は四月に延期とさせて戴きます。日時については、追ってご案内申し上げますが、今後、以下の発表が予定されてゐます。


■(仮題)近代の超克 本多俊哉氏


■日本再生への道―先帝陛下の大御心を拝して― 金子義徳氏


松浦武四郎―その反骨の精神と慈愛の情― 幹事・大山晋吾
吉田松陰は、嘉永六年と安政元年の二度、松浦武四郎を訪ね、後者に於いては、一晩中、海防の事を談じ合ってゐる。不正を嫌ひ、情に厚い二人の精神は、瞬く間に意気投合したのである。松陰は、嘉永六年九月武四郎が京都へ密使として向かふに際し、大阪の砲術家坂本鼎斎への紹介状を書き贈ってゐる。そこには、「此の人、足跡天下に遍く、殊に北蝦夷の事、至って精しく、近藤拾(マゝ)蔵以来の一人に御座候」とある。武四郎は不撓不屈にして、反骨の蝦夷地探検家であった。彼は、松前藩蝦夷地住民(アイヌ民族)に対する不正・搾取を糾弾するルポルタージュを行ひ、また、アイヌ民族の道義に適った様々な生き様を、慈愛の情を込めて称へた『近世蝦夷人物誌』を著してゐる。今回は、その武四郎の反骨の精神と慈愛の情を近代日本に於ける士道精神の一端、乃至は先駆けとして眺めてみたい。


■『講孟箚記』梁恵王上篇第三章「凡ソ政ハ戸口ヲ増スヲ主トス」 日下晋太郎氏
シナの政治哲学の根本は、論語に記す通り、「庶・富・教」である。人口を増加させ、民を富ませ、さうして、それを教育する。王道政治とは、以上に尽きる、と。▼これは、三十有余年前、恩師故荒川久壽男先生から、『講孟箚記』本章の講義を受けた折り、先生の開口第一声であった。先生は、平泉澄博士の高弟で、若くして『宇内の大理』を著はし、戦後、マルクス史観が跋扈する中、毅然として節を貫いた水戸学の大家である▼「凡ソ政ハ戸口ヲ増スヲ主トス」とは、荒川先生の説かれる通り、松陰先生の深い政治哲学への造詣が端的に表現されたものと言へよう。▼小泉信三氏は、名著『共産主義批判の常識』に於いて、問題は分配の方法ではなく、まづ生産が先である旨、述べてゐるが、まさに生産無ければ分配の致し様も無いのである。人口を増やし、生産を増加させる事が第一である。事業仕分けもよいが、政府はより根本的な人口問題、農産業等生産の問題にまづ力を注ぐべきである。


■幹事 藤本隆之/福永武/細見祐介/大山晋吾