大東会館 過去の活動の記録

大東会館のホームページ上において行つてゐた案内・告知を掲載

武士道研究会 第十三回例会ご案内

日はまた昇る聖徳太子の御見識と武徳の精神― 発表・大山晋吾氏
聖徳太子の活躍された時代は、対外的には大隋帝国の脅威にさらされ、対内的には蘇我馬子の企てで崇峻天皇が弑逆され、蘇我氏が国政を恣にしてゐた時代であつた。まさに、内憂外患のその時に於いて、太子は十七条の憲法を制定して、蘇我氏を牽制し、一方で冠位十二階を定め、名誉の源泉が天皇にある事を鮮明にされた。また、対外的には、有名な「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙なきや」といふ堂々たる国書を隋の煬帝に宛て、対等外交を展開されたのである。
聖徳太子の一万円札の肖像は有名であるが、そこには剣を佩いた姿が描かれゐる。また、太子の馬に跨つた肖像も存在するが、その肖像には弓を持つた姿が描かれてゐる。さう、若き日の太子は、物部守屋と戦ひ、戦功をあげてをられるのである。
今回は、前回の発表に引き続き、国体護持史の観点より、太子の優れた政治上の御見識やその武徳の精神について触れてみたい。


軍人勅諭』と『日本外史 発表・山本直人
明治十五年に渙発された「陸海軍に賜りたる勅諭」は、忠節・礼儀・武勇・信義・質素といつた五つの徳目からなり、日本軍人の心の拠り所となつたみことのりである。この詔勅は、山縣有朋の「軍人訓誡」を元に西周が起草。井上毅らの加筆を経て、最終的に天皇の御決裁を仰いでゐる。「我國の軍隊は世々天皇の統率し給ふ所にぞある」で始まる一文からも古代からの日本の軍制史が説かれ、「文武の大権」が本来天皇に存したことを強調してゐる。
実はこの冒頭は、頼山陽の『日本外史』の思想が色濃く反映されてゐる。近代日本の軍制が、何故に維新以前の史家の発想を必要としたのか。軍人勅諭の理念を、頼山陽の史観まで遡つて考証したい。


■日 時 3月9日(月)午後6時半より
■会 場 大東会館 港区北青山三の三の二七
■輪 読 「明治維新の宸翰」
■会 費 無料(但、懇親会出席者は千円・学生無料)
■幹 事 藤本隆之/福永武/細見祐介/大山晋吾
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